世界の果てでダンドゥット

ダンドゥットは今、現在が一番おもしろいぞ!

1962年10月5日誕生 ラテンの名曲2曲(ビートルズと007)

BBCに先に書かれちゃったから止めようかとかと思ったけれどやっぱり書こう。

1つ目はこれ 正規音源はリマスターのみだけど、音質などどうでもいいやね

The Beatles - P.S. I Love You (Remastered 2009) ファーストシングルのB面

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ザ・ビートルズのシングルB面ってすげえよね。普通のグループだったら、1曲か2曲あれば一生食っていけるくらいの傑作が、ずーーっと惜しげもなく収録されている。

2つ目はこれ、音質が悪いけど映画のタイトルシーン入で

Dr No Theme

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PS I Love Youは甘いボレーロ、007のテーマはブラスが炸裂するマンボ。60年前の10月5日、ブリテンで公開されたシングル盤と映画。

ブリテンの新時代を象徴する二大アイコンのデビューである。BBCに先に書かれちゃった。Economistでも記事が出たらしいけど、登録しないと読めないので無視。

James Bond and The Beatles: the 1962 day that changed Britain - BBC Culture

さて、音楽の話。当時まだラテン音楽が世界標準であったのだよ。The Beatlesに関しても、最近はラテン音楽の影響があったと再発見する論考が出てきている(例; ザ・ビートルズ版のTwist And Shoutがキューバのソンのリズムだった。ピーター・バラカンさんが書いていた)。

一方、マンボはロックンロールと同時期にUSAで流行っていた。もともとはキューバ産だが、USA大衆向けにリズムのメリハリを強め、楽器の数を増やして音量を上げたものが世界中に広まった。上の007のテーマも、当時のキャバレーやナイトクラブで演奏されていたマンボの味を取り入れたものでしょう。

編曲者のジョン・バリーの功績であるが、もともとは、Monty Norman(2022年7月死去)という演劇畑の音楽家による作曲。この曲も、トリニダード・トバゴ出身の作家、V. S. ナイポール(後にノーベル文学賞受賞)原作の演劇ための楽曲としてつくられたのだそうだ。

Monty Norman wrote the James Bond theme. Here's why.

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それにしても、『ドクター・ノー』って小説は、今思えばすごい。

物語は独立前のジャマイカブリテンのMI6のジャマイカ駐在員が謎の死を遂げる。調査に向かうのが我らのジェイムズ・ボンド。お気楽なバカンス半分の任務のはずだった。しかし、謎のチャイニーズが所有する小島で何か陰謀が隠されているらしい。ボンドは相棒のケイマン島出身の黒人とともに島にのりこむ。

現在のポリテカリー・コレクトネスの社会では想像できないような、レイシズムてんこ盛りの話である。相棒の黒人は陽気で忠実なフライデータイプ。悪玉のドクター・ノーは中国の黒社会出身で両手首がない身体障碍者。そのドクター・ノーが経営するグアノ鉱山で働くのは、黒人とチャイニーズの混血たちで、昆虫のように働いている。そして、ドクター・ノーの背後にいるのはソ連で、弾道ミサイルの軌道を狂わす施設を極秘裏に建造していた!

原作の発表は1958年だが、1962年10月は、あのキューバ危機の真っ最中ですね。臨場感たっぷり。

ボンドに助けられるためだけに登場するグラマー美少女は、当然白人で、すっぽんぽんで登場する。映画では当然水着をつけているけれど。この美女、零落した良家の娘で、珍しい貝を採って生活している。エンサイクロペディア・ブリタニカ(たぶん11th エディション)を読んで勉強している賢い子で、海洋生物の生態なんかにも詳しい。

ちなみに、ボンド・シリーズは博打や料理のウンチクだけでなく、博物学的なウンチクもたくさん出てきて、読者の心をくすぐるのだよ。『ドクター・ノー』にも毒ムカデ(映画ではクモ)とか、巨大イカとか、陸地に押し寄せるカニの群れとか登場する。そもそも、この島は海鳥の繁殖地で、そのためにグアノ(鳥のフン)が採れるわけだ。「野鳥の会」の調査メンバーが謎の死をとげているという伏線もある。

***音楽に話をもどす***

1960年代からUKのミュージシャンによる〈発見〉もあり、USAのブルース、リカビリー、ロックンロールが世界的に、いや、西側の先進国だけに、注目される。以後20年ほど、ロック・ベースの曲がヒットの中心になっていく。

でもね、あの8ビートのロックンロールとブルース音階ってのは、英語以外の言語とは、思いっきり相性が悪いのだ。その結果、ダンスするにも歌うにも不便で、結局世界中の国々でロックは定着しなかった。そのかわりに4つ打ちを強調したディスコ調、ゆるい4拍子である16ビートのファンクが世界標準となっていく。そして、それらを全部ひっくり返すようなヒップホップが現れて、ロックはいなくなった。(ラテン歌謡に頭打ちビートのロックは全世界に残っているけれどね、東南アジアではマレーシアなんかに多いBui Jadi Permadani by Existとかね)

USA一人勝ちの世界ポピュラー音楽市場で、ただ一か所、世界標準のポップ・ミュージックとして影響を与え続けたのが、ジャマイカだ。

『ドクター・ノー』の最初のシーン(上の2:15~)でもカリプソThree Blind Miceが流れるように、1960年あたりまでは、トリニダード・トバゴと共通するカリプソ/メントが地元の歌だった。それが独立後、次々と新しいリズム、新しい手法が現れる。(細かい脱線するとキリがないけれど、Three Blind Miceのメロディはザ・ビートルズAll You Need Is LoveのLo---ve Lo---ve Loveのメロディの元歌だよ。プロデューサーのジョージ・マーティンがこの歌をネタにしたパロディJohnny Dankworth and his Orchestra 'Experiments With Mice'のプロデュースをやっていた。ジョン・レノンが仕事をする気がないので、マーティンが昔の仕事を思い出して、メロディーを作っちゃったんだ。ホントだってば。世界最初の衛星中継同時生放送でした)

独立後のジャマイカで2ビートのスカが生まれ、それがゆったりしたリズムのロック・ステディに変化、ここいらまではUSAのR&Bやポップ・チャートの影響が強かったが、さらにレゲエのリズムが生まれる。

そして、DJ(しゃべくり、ラップのこと)、ダブ(録音済みの音源を切り貼りしたり、歪ませる手法)、ダンスホール(打ち込みトラックの使いまわし)という、その後USAで翻案・盗用された手法をいち早くダンス物・歌モノに取り入れたのだ。

では、レゲエやスカのリズムはどうなったかというと、1970年代にUSAで盛大にパクられた後は、USAでは影響がなくなったものの、他の全世界に広まっている。この場合の全世界とは、中南米、東南アジア、東アジア、赤道以南アフリカ、東西ヨーロッパである。中国のことは知らん。インド・パキスタンではバングラ(bhangra)という、ダンスホール・レゲエ風リズムが25年以上続いている(ワンパターンで飽きる!)。

そんなわけで、20世紀後半のポップ・ミュージックはジャマイカが先導したと言ってよいだろう!

なかでもインドネシアへの浸透は深く広い。「ジャー・ラスタファライ!」とは叫ばないものの(イスラム教徒が多いからね)、自称レゲエ・バンドがたくさんあるし、なによりもダンドゥットって、基本リズムがレゲエ/スカである場合が3割~4割なのだ。さらに打ち込みトラックのものも多い。というわけで、現在インドネシアはレゲエ/スカの中心地であります。

わたしは、もっと古いカリプソ/メントの古層もあるのじゃないかって気がするのだが、そこまでは実証的に話をすすめられない。

ダンドゥットの1980年代90年代って、乱暴に言うとポップ・ムラユーの要素を引き継いだラテン歌謡だったのが、21世紀にはその上に、ジャマイカ系のリズムが浸透したと見てよいでしょう。

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