世界の果てでダンドゥット

ダンドゥットは今、現在が一番おもしろいぞ!

輪島裕介の北島三郎論(Web 考える人 新潮社)

あの『創られた「日本の心」神話』光文社新書 2010の著者・輪島裕介による北島三郎論が、新潮社のWEB版「考える人」のサイトで無料で公開されている。

現在第6回まで。なかなか次の回を発表してくれないが、ま、無料ですから文句をいうのは贅沢でしょう。
kangaeruhito.jp

1974年石川県金沢市生まれ。音楽学者。大阪大学文学部・大学院人文学研究科教授。ってことは、生まれた時にはすでにレゲエ、サルサなどが日本に紹介済みで、中学高校時代にワールド・ミュージック・ブーム、河内音頭琉球島唄も東京で聞けて、「ニュー・ミュージック」というジャンル名が完全に陳腐化(オヤジ化)し、日本のロックと演歌の区別があいまいになっていた時代に育った人なのだ。

さらに大学生時代にブラジルに短期旅行し、大学院生時代の1999年から2000年にかけて、ブラジルのバイーアに滞在してフィールドワークをやった。こういうバックグラウンドがあれば、〈演歌〉を既成概念にとらわれずに聴くこともできたのだろう。

第4回で、

たしかに上に例示されている音楽群(「韓国にはトロット、タイにはモーラム、インドネシアにはダンドゥット、ナイジェリアにはアフロビート、モロッコにはグナワ、コロンビアにはクンビア、マルティニークにはズーク(以下略))は、日本では、「ワールドミュージック」というジャンルの元で紹介されることが多い。このジャンルは、往々にして、通念的な「洋楽」の「上級者向け応用編」的な性格を担ってきた(担わされてきた)。「普通の」英語圏ポップ/ロックやクラシックを「卒業した・・・・」人、「わかってる・・・・・」人が手を出す傾向が強い。思い返せば、約30年前の私自身も「手っ取り早く通ぶれるジャンル」として、いわゆる「洋楽」をすっとばしてカリブや南米やアフリカや東南アジアの録音物をつまみ食い的に聴き始めたので、その感じは骨身に沁みている

と書いている。このブログで、インドネシアのダンドゥットを紹介するのも、上のようなつまみ食い的な「わかっている」人向けの記事にならぬように心がけているつもりなのだが、結果としてどうなっているか、不安だ。さらに輪島裕介は、

 確認しておくべきことは、先進国(当世風に言えば「グローバル・ノース」)で「ワールドミュージック」と括られる諸音楽の多くは、それぞれの場所ではきわめて庶民的で即物的な娯楽として実践されている、ということであり、現地エリートの多くが眉をひそめるような「下品な」ものと見られることも多い、ということだ(もちろんそうした通念に逆らって通俗的な表現を擁護し、称揚する別種のエリートもおり、私自身の立場は概ねそこに分類されるだろう)。

わたしは、「下品な」ものや通俗的な表現やことさら擁護するつもりもないけれど。

『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社新書)は、上の写真にあるように、ちゃんと購入して読んでいる。文章明晰で論理的、歴史的経緯もちゃんと踏まえている。学者だからあたりまえでしょうが、往々にして、ポピュラー音楽の分野は、めちゃくちゃな偽史を書きなぐっているものが多いので、この本の真摯な研究姿勢はきわだっている。

だいたい中身は想像がついた。え?おまえ、大阪大学の教授並の洞察力があるのか?と言われそうだが、わたしの年代が漠然と感じていた不快感/違和感を論理的・歴史的にズバッと論じてくれた書籍であった。

そんな研究者が、春日八郎や三波春夫ではなく、北島三郎について、ちゃんとした論考を発表するとは驚きである。著作から、この人は戦前戦後の流行歌やダンス歌謡が好きだとしても、ド演歌は嫌いな人ではないかと想像していた。学術書は著者の好き嫌いを論考に挟むことを禁じるから、著者の好みは想像するしかなかったのだ。

北島三郎とは意外や意外。上のサイトから各自読んでみてください。しかし、サウンドや歌だけを聴くってのは難しいよね。もしも歌詞も芸能界のことも知らずに聴いたら、それなりにすばらしい歌手なのかもしれないが。まあ、さだまさし谷村新司のような、不快感はないけれど。

わたしは1953年生まれだが、小学校・中学校の1960年代にはまだ「演歌」なんてジャンル名はなかった。もちろん、当時の歌や歌手、舟木一夫橋幸夫西郷輝彦、さらに加山雄三小林旭ドリフターズの歌にも、後に〈演歌〉と呼ばれたジャンルに共通する要素はある。グループ・サウンズや当時のフォークソングも、今の若い人が聴けば演歌と区別がつかないのが多いと思う。あたりまえだ。軍歌・戦時歌謡浪花節などにも共通する要素があるのだから。その「同じ要素がある」という理屈を延長すれば、ジャズにもハワイアンにもラテンにもロンマ派クラシックにもある、というか、外国の影響のほうが〈演歌〉に深く及んでいる。歌手やソングライターも、ジャズやラテン、タンゴを経由してきた人が多い。

それで、1953年生まれであるわたしは、〈演歌〉ってジャンルも歌手もファンも、でええ~っきらいである。あんなもんが〈日本の伝統〉であってたまるかよ。つまんねえ歌詞、凡庸なアレンジ、単調なリズム。わたしより歳下の連中が、大音量のカラオケで歌っていた。

だから、ダンドゥットをインドネシアの〈演歌〉などと呼ばれると、ヒジョーに不愉快だ。ムカッとする。まあ、そんなふうなレッテルを貼る人って、ほとんど、いやまったくダンドゥットを聴いたことがない人なのだが。

いわゆる演歌調の歌い方って、東アジア~東南アジアに広く分布する歌い方で、別に日本だけのものではない。(アフリカとか中東にもあるということだが、今はそこまで追求しない)だから、その点だけに注目して演歌的と言われるのは心外である。

ま、ド演歌的なダンドゥットもあることはあるわけで、下はその例。節回しばかりでなく、表情も振りも演歌調だ!演歌って子どもでも歌えるんだよな。

2012年9月15日、中部ジャワ州グレシクでのライブ。現在もトップクラスの歌手Tasya Rosmalaは9歳。オリジナルは、Iis Dahlia – Payung Hitam 1995これは、さらにド演歌

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