まず、聴いてくれ。ナイスなレゲエ・ビートでDinda Teratuの歌
DINDA TERATU - GUSDUR ( PENDEKAR RAKYAT )
81,250 views Premiered on 6 Nov 2024
しかし、歌詞を見てびっくりだ。ダンドゥットでもポップ・インドネシアでも、政治や社会問題を扱った歌はたくさんある。でもたいていは、神話や伝説のストーリーに絡ませたり、ふざけたコミカルな歌にするのが多い。
ところが、この歌は第4代大統領アブドゥルラフマン・ワヒドAbdurrahman Wahid(1940 - 2009)を支持する、ストレートな歌なのだ。Gus Durというのはワヒドの愛称。ワヒドの祖父はNahdatul Ulama (NU)創設者の一人。ワヒド自身も1980年代からナフダトゥル・ウラマーの主要メンバーとして活動した。当時の政権スハルトとの関係もいろいろあり、毀誉褒貶(きよほうへん)が多い人物であったようだ。ワヒドが大統領だった期間は2年間に満たない。

作詞作曲はDhalang Poer、発表年不明 Dhalang Poer Official - YouTubeより
「Gusdurは大統領になって2年たらずで追放された
「あなたが去った時、多くの人々が悲しんだ
「民衆の剣士は、陰謀の犠牲になった
と、いう具合に、完全にワヒド元大統領を賛美する歌だ。ひっとして、死去した時期に追悼の意を込めて書かれた歌だろうか??
ソングライターについては、2022-12-06の記事で紹介済み。Gang Dolly、Kudu Misuhなどダンドゥット・コプロの歌手にもカバーされる作品がかなりある。やや社会派というかシリアスな歌詞を書く人ではあるようだ。そうではあるけれど、ミュージシャンの政治信条なんて、あんまりアテにしないほうがいいけど。
現在ちょっとしたカバー合戦になっているが、きっかけがさっぱり判らん。現在のインドネシアの政治状況、統一州知事選挙なんかが絡んでいるのかと思ったが、わたしの能力では調べる術なし。
DIKE SABRINA Ft. SHINTA ARSINTA - GUSDUR Pendekar Rakyat 370,749 views Premiered on 5 Nov 2024
次の歌手Maya Enjhiは初めて紹介するはず。Rindi Safira系のシャウト系シンガーで、なかなかいいじゃないか。
Gusdur Pendekar Rakyat // Maya Enjhi - Penyu Music Version
511,705 views Premiered on 15 Aug 2024
そのRindi Safiraのライブがいくつか上がっている。次は全員出演物で、歌っているのは半分以上Rindi。顔がかわいくて、太めのボディであります。
USDUR PENDEKAR RAKYAT - ALL ARTIS NEW ASTINA LIVE NGAWI 70,474 views 28 Sept 2024
Eny Sagitaの得意レパートリーであるようで、ライブ・バージョンが10年くらい前からいくつかある。スタジオ録音クリップ物を
Eny Sagita - Gus Dur
1,251,228 views 3 Mar 2019
以上、カバー合戦の一部を紹介したが、ほんとにきっかけが判らない。TikTok経由でもないし、誰かのバージョンがヒットしたわけでもないようだ。
なお、ワヒド大統領就任と解任の経緯は、
東南アジアを知る事典 新版, 平凡社, 2008, p635より 項目執筆担当は本名純
1998年5月12日に首都ジャカルタのトリサクティ大学での学生デモに治安部隊が発砲した事件である。これがスハルト退陣運動に油を注ぐと同時に、社会の混乱を誘発して翌日から各地で大規模な暴動が起こった。事態の収拾は困難だとウィラント国軍司令官から指摘されたスハルトは辞任を決意し、5月21日に退陣した。ここに長年の開発独裁に終止符が打たれた。
99年10月、国民協議会(MPR)による大統領選出(注 当時は直接選挙ではない)は政党間の駆け引きとなり、民族覚醒党を率いるアブドゥルラフマン・ワヒドがメガワティをおさえて第4代大統領となった。ワヒドは副大統領にメガワティを迎え、主要政党によるオール与党体制で政権運営を試みたが、その挙国体制は長続きしなかった。ワヒドが他党出身大臣を次々と解任し、側近で政権を固めるようになると、国会(DRP)はワヒドの汚職疑惑を取り上げ、国民協議会は2001年7月に任期半ばで大統領を罷免した。
副大統領から大統領にメガワティは、国内治安の問題に翻弄された。02年10月にバリで起きた爆弾テロに続き、03年にはジャカルタのアメリカ系マリオットホテル、04年にはオーストラリア大使館前で自爆テロが発生し、政府は国際テロ対策の強化に追われた。またアチェの分離独立運動に対しても03年5月から1年間、軍事掃討作戦を展開し、アチェ州を戒厳令下においた。(以下略)