世界の果てでダンドゥット

ダンドゥットは今、現在が一番おもしろいぞ!

The Beatles 映画Help! UK一般公開1965年8月1日

年に一回、ジジイのビートルズ語りシリーズ

日本公開は12月13日。ってことは、つまり、年末年始の大作・話題作だったのか?それとも正月映画前の穴埋め的な封切りだったのか?同時期の日本公開作は『007/サンダーボール作戦』『メリー・ポピンズ』『なにかいいことないか子猫ちゃん』『グレートレース』『ハレム万才』

各国の公開日はImdb.comの下記参照。

https://www.imdb.com/title/tt0059260/releaseinfo/?ref_=tt_dt_rdat

UK~USA~ヨーロッパ先進国~日本~西ドイツ~オーストラリア、翌1966年スペイン、南アフリア、ラテンアメリカ諸国という順番だった。

つまり、日本以外のアジアの国では公開されなかったのだ。わたしは、なんと幸せな先進国に住んでいたんだろう!

日本公開タイトルは、おそらく『ヘルプ!4人はアイドル』もしくは『HELP! 四人はアイドル』。おそらく、と注記するのは、ちゃんとした正式の表記の根拠が、どこを探しても見つからないから。第1作の『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』みたいな言いにくい邦題よりはマシだけど。

Help! Is On The Way On Blu-Ray - Extras

www.youtube.com

日本で12月に公開されたと言っても、わたしが12月に観たわけではない。当時は、全国一斉封切りなどということはなく、地方の映画館は大都市の上映が終了してからフィルムがまわってくるのだ。

さらに幸運だったのは、人口6万人ほどの秋田県能代市にも外国映画を上映する映画館があったということ。これは奇跡的だ。映画観客数が急激に減っていた時期で、これ以後、地方都市の映画館はどんどん廃業していく。

映画館のある街まで汽車で2時間とか、日に2便の連絡船に乗らなきゃならん地方に住んでいたら、気軽に映画館に行くなんてできない。

わたしが観たのは1966年小学校を卒業して中学に入る前の春休み。兄の友人たち(高校生)に連れていってもらった。小中学生が親の付き添いなしに映画館に入るのは禁じられていたが、まあ、それほど厳密ではなかった。兄の世代(1949年前後)が一番人口が多く、4歳下の我々はぐっと減るのだが、それでも中学校三学年の生徒数が1000人以上だった。

リアルタイムの経験として、ギリギリ間に合ったのが1966年の春休みであったわけだ。どうだ!うらやましいか!

じゃあ、内容は覚えているか?

アルプスのスキー場でヘンテコなゲーム(カーリングという競技であります)して、爆弾が破裂し、氷の下からドーバー海峡横断をめざす男が現れる、ってのは覚えている。ロード・マネージャーのマル・エバンズの決死の演技であったのだそうだ。

ずっと後に東京の名画座で観た記憶がごちゃまぜになって、当時の記憶だけを抽出するのは難しい。音楽シーンの歌自体は、たぶん、それほど感激しなかった。ただ、観た人はわかるように、歌のシーンはほとんどギャグになっているので、歌を知らなくとも楽しめる作り方だ。

いや、ストーリーもドタバタ追っかけ物で、字幕を読まなくとも判る作りだ。細かいニュアンスやブリティッシュ・ユーモアは字幕を読んでも解らない。

いやいや、〈ギャグ〉とか〈スラップスティック〉なんて言葉も知らなかったね。もちろん〈ブラック・ユーモア〉〈エスニック・ジョーク〉〈ナンセンス〉〈不条理〉も知らなかった。〈アイドル〉という言葉さえ日常的には使っていなかったような気がする。

つまり、当時のわたしが知らなかった用語を使えば「アイドル・グループがマッド・サイエンティストや偶像崇拝教団のインド人に追っかけられるスラップスティック・コメディ、エスニック・ジョークとブラック・ユーモア満載のミュージック・クリップの元祖」だったのだ。

ザ・ビートルズへのケナシ言葉として「単なるアイドル・グループ」というのが散見されるが、まったく頓珍漢な評価だ。アイドル・グループというのは、当然の前提であって、小学生に受けるのが正しい芸能人なのだ。

〈ロック・バンド〉というジャンルが確立し、ミュージシャンがアーティストと呼ばれ、アルバム単位で評価する時代は、この後5~6年後になる。わたしはけっこう裕福な家庭だったが、それでも欲しいレコードを買えるのはとても無理だった。「ミュージック・ライフ」を読んでミュージシャンの顔を知ったり、ラジオでごたまぜにヒット曲を聴く状態であった。

一番上に書いた同時期公開の洋画タイトルを見てくれ。シャーマン兄弟(メリー・ポピンズヘンリー・マンシーニ(グレートレース)、ジョン・バリー(007シリーズ)といった作曲家の時代だった。女優はジュリー・アンドリュースナタリー・ウッド、それぞれ『サウンド・オブ・ミュージック』『ウエストサイド物語』の主役だ。日本の歌手や俳優が「演技も歌もできるエンターテイナーになって、ミュージカルを演りたい」という時代だった(タモリがバカにする背景です)。UKの男性人気歌手はトム・ジョーンズ、う~ん……。「ハレム万才」のプレスリーは、盛りを過ぎたおっさんって位置で、映画もヒットしなかったと思う。

The Beatles in the Ticket To Ride scene from Help!, 20 March 1965

1965年のザ・ビートルズの活動は下記参照。USAシェイ・スタジアムでライブ、プレスリー邸へご招待され、女王陛下から勲章をもらった年であります。

Days in the life: The ultimate Beatles' history! | The Beatles Bible – Part 7

ジョン・レノンが芸能活動に飽き飽きして、映画でも見せ場が少ない。ポールやジョージの見せ場はけっこうある。そしてリンゴは主役だ。

当時のファンがリンゴが一番と言ったのは、アマノジャクでも皮肉でもなく、当然の評価であった。だいたい、誰が作詞作曲したとか、アレンジはどうだとか以前に、リード・ボーカルが誰かも区別がつかなかったからね。

当時はもちろん知らなかったが、日本独自編集のアルバムは『ビートルズ No.5!』 1965年5月5日発売で終了し、『ヘルプ』はUKと同じ曲目同じ曲順でステレオ版のみ1965年9月15日発売、ジャケットもUK版と同じ。(細かいことにはこだわらないでネ)

殺人的に多忙な中、映画撮影やテレビ出演・ライブの合間に作詞作曲とレコーディングをしたのがアルバム『ヘルプ』だ。

楽しいアルバムではあるけれど、前作『For Sale』のスピード感とボーカル力、次の、ミュージシャンや批評家を圧倒する『Rubber Soul』の間に挟まって、ややしょぼいっす。B面に「イエスタデイ」というビートルズ・マニアの怨念の的になる曲があるのもマイナス。つまらない歌じゃないけどね。