世界の果てでダンドゥット

ダンドゥットは今、現在が一番おもしろいぞ!

1964年2月28日の伝説的ビートルズ排斥論byポール・ジョンソン(後、イスラモフォビア&植民地復活論者)

ザ・ビートルズの音楽を教科書で知った世代には、あの時代の感覚はなかなか理解できないでしょうね。今や老人の慰み物、バラモン左翼、権威主義の象徴みたいになってしまったからね。

1964年、東京オリンピックの年、日本ではまだ、ビートルズの録音を実際に聴いた人はほとんどいない時代だった。ちなみに最初の日本盤は1964年2月5日発売のシングル盤「抱きしめたい」なんだそうだ。わたしが小学校4年の時だね。当然、名前も知らなかった。

さて、本国のUKでは、もう毎日のようにゴシップ紙に記事がでて、国営放送BBCラジオでライブが放送され、テレビにも出ていた。一方USAで大騒ぎになるのは1964年の2月で、それ以前は、UKの情報を入手できる一部の専門家以外、名前も知らなかった。

日本で、ビートルズ排斥論、ディスりが起こるのは、1965年ぐらいだと思う。映画も公開されて、当時の映画ファンは「これはすごい」と思った人も多かったようだが、ラジオの影響はまだ小さかったのだ。だってね、そもそもラジオを聴く人が減っていたし、昼は天気予報と道路情報、夜はプロ野球中継ばっかしだったから。まだオールナイトニッポンのような音楽番組の深夜放送はなかったのだよ。

さて、UKの世論に話をもどす。1964年当時ですでに、ディスり、貶しの論調は退潮し、みんなに愛される家庭のアイドルになっていたのだ(ちょうど、小学生に受けるドリフターズみたいな感じ)。ここがUSAとは違う点だ。USAでは、プロモーションやマスメディアの戦略もあっただろうけれど、「ユースカルチャー」とかティーンエイジ文化の文脈で語られることが多かった。

さらにUKでは、王室の方々に受け、高級紙タイムズの批評で称賛され、保守党が大衆にすり寄るためにザ・ビートルズを使おうとしていた。(なお、ザ・ビートルズが勲章を受けるのは労働党政権になってから)

そんな俗世間の風潮に敢然と立ち向かったのが、当時の左翼の論客ポール・ジョンソンである。1964年2月28日にNew Satatesmanに掲載された記事は、ビートルズ排斥論の古典として、この男の他の著作が忘れ去られようと、ずっと残ることでありましょう。

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あの~、この1968年ごろの写真載っけるのっておかしいぞ。New Satesmanサイトの担当者さえもザ・ビートルズを知らないのではないか???下請けの仕事か???

The menace of Beatlism
28 February 1964: I refuse to believe the Beatles and their like are what the youth of Britain want. By Paul Johnson

www.newstatesman.com

全体は、ビートルズとかいう汚え格好の労働者階級を持ち上げるマスメディアや保守党政治への批判なのだが。自身の10代の頃の自慢話が泣かせるね。

What were we doing at 16? I remember reading the whole of Shakespeare and Marlowe, writing poems and plays and stories. At 16, I and my friends heard our first performance of Beethoven’s Ninth Symphony; I can remember the excitement even today. We would not have wasted 30 seconds of our precious time on the Beatles and their ilk.

我々が16歳の時何をしていたか?吾輩は今でも覚えている。シェイクスピアとマーロウの全作品を読んだことを。自分たちで詩や戯曲や短編小説を書いたものだ。忘れもしない16歳の時、吾輩と友人は初めてベートーベンの第九交響曲を聴いたのだ。あの感激は今日でも消え去ることはない。我々はビートルズとかその他のクズのために、あの頃の30秒でさえ無駄に費やすことはしなかったであろう。

で、今、ネットで検索したら去年の1月に死んでるんだ。94歳まで生きたってよ。あはは。産経ニュースの短信(他の日本語記事はもうリンク切れ多し)

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さて、その後のポール・ジョンソンは、保守派に転向し、サッチャー政権の太鼓持ちとして大いに活躍することになる。今風の言葉でいえば、ヘイトスピーチフェイクニュースの垂れ流しだ。(ええと、わたしは全然読んでないけど、てへへ)

 


次の文はエドワード・サイードの『オリエンタリズム』の1995年あとがきから。前後の文脈がないと訳わからんけど、日本語訳を読みたい方は、はてなブログ山形浩生の勝手訳を見てくれ。

cruel.hatenablog.com

わたしはKindleに英語版を入れていて、日々座右の書として親しんでいるので(嘘つけ)、自由自在にハイライトしてコピペできるのだ。

Not that Huntington, and behind him all the theorists and apologists of an exultant Western tradition, like Francis Fukuyama, haven’t retained a good deal of their hold on the public consciousness. They have, as is evident in the symptomatic case of Paul Johnson, once a Left intellectual, now a retrograde social and political polemicist. In the April 18, 1993, issue of The New York Times Magazine, by no means a marginal publication, Johnson published an essay entitled “Colonialism’s Back—And Not a Moment Too Soon,” whose main idea was that “the civilized nations” ought to take it upon themselves to re-colonize Third World countries “where the most basic conditions of civilized life had broken down,” and to do this by means of a system of imposed trusteeships.

Vintage Books Edition, October 1979 Copyright © 1978 by Edward W. Said Afterword copyright © 1994 by Edward W. Said p329

山形浩生の訳は

ハンチントンや、その背後の意気揚々とした西側伝統の理論家や弁明者たち、たとえばフランシス・フクヤマなどが、世間の意識をかなりしっかり掌握していることを否定するものではない。かつては左派知識人だったのに、いまや社会政治扇動家へと退行したポール・ジョンソンの症例的な例を見ればそれは明らかだ。1993年4月18日号の『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』(決してどうでもいい刊行物ではない) で、ジョンソンは「植民地主義復権:それも一瞬たりとも遅滞なく」と題した論説を発表した。その主要な発想は、「文明化した国家」は「文明化生活の最も基本的な条件が崩壊した」第三世界諸国を再植民地化する仕事を引き受けるべきであり、そのためには信託制度のシステムを課すべきだというものだ。

しっかし、今ごろ判るのもナイーブだけど、ニューヨーク・タイムズとかワシントン・ポストとかに、こんなイスラモフォビア要員を揃えていたんだね。

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なお、サイードの『オリエンタリズム』原書をkindleに入れているのは本当ですよ。ろくに読んでないけど。